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たびぶろのワルツな気まま日記

毎日旅に出ているような、ワルツな気分の気まま日記です♪

東京OLの気ままブログ

わたしの大好きな、中村天風さん名言~パート1♪♪

こんにちは

たびぶろです☆

 

わたしの大好きな過去の偉人で

中村天風さんという方がいらっしゃいます♪♪

 

経歴を自分で書こうと思ったのですが

内容が薄くなってしまったので、引用します♪♪

 

興味のある方は、文末に載せましたのでご覧ください(^^)

 

 

ひとまず☆

大好きな名言を少しご紹介していきたいなと思います♪

 

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人生は生かされてるんじゃない。

生きる人生でなきゃいけない。

 

- 中村天風 -

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生きる意欲、前向きな気持ちが大事なんだなと

改めて気が付きます☆

 

さあ、今日もがんばるぞ!!

\(^o^)/

 

中æ天風ã®åè¨ã»æ ¼è¨

 

中村天風の名言・格言集。幸福な人生を生きる言葉 | 癒しツアー

1876年、現在の東京都北区王子に生まれ、王子や本郷で幼少期を過ごす。父は、旧柳川藩士で、大蔵省初代抄紙局長。

 

その後、福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現在の修猷館高校)に入学。すべて英語で授業を行っていたため語学に堪能になる。柔道部でもエースとして活躍。しかし、練習試合に惨敗した他校生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺。正当防衛は認められたものの退学になる。

16歳の時に陸軍の軍事探偵となり、満州で活動。日露戦争時の1904年、コサック兵にとらわれ、銃殺刑に処せられる寸前に部下によって救出される。113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの一人であった。

日露戦争後、30歳にして奔馬結核を発病。33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、米国へ密航。米コロンビア大学で、自らの病の原因を尋ねて自律神経系の研究を行ったとされる。その後、英国に渡り、そしてフランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候。各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった。

1911年、帰国の途上、カイロにてインドのヨーガの聖人カリアッパ師に出会う。そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第三の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。

1913年の帰国途上には、中国で孫文の第2次辛亥革命中華民国最高顧問として協力。帰国後は、東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。

1919年、突然、一切の社会的身分、財産を処分し、統一哲医学会を創設。街頭にて教えを説き始める。政財界の実力者が数多く入会するようになり、会は発展。1940年に天風会に改称する。東郷平八郎宇野千代、ロックフェラー三世、双葉山稲盛和夫広岡達朗ら、多くの著名人が中村天風に師事した。